言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.267 最近気になる、いくつかの誤用について

2017年06月26日

 「誤用」というのは、言葉の使い方の誤った例のことである。よくいうところの、若者の話し言葉、同じく若者のSNS上のやりとりにとどまらない。いわゆるネット記事はもちろん、新聞や雑誌、テレビ局のニュース記事(文字で示されたもの)、またそれらの媒体で目にする「識者」の文章まで含め、さまざまなところで、言葉の誤用、すなわち日本語の乱れをつきつけられて、辟易(へきえき)することが多いので、少しお話ししたい。

 とはいえ、これまでにもいく度か書いていることをはじめにお断りしておくが、言葉は時代により変化するものだということを、私もよく承知している。私の語彙や知識、語感だけがあらゆる場合に通じる尺度でないことは十分承知しており、その上でなお、「ちょっと首をかしげざるを得ない」誤用の例について、私見を述べてみたい。

@「○○ではなく」

 「これは私の独断ではなく、以下に列挙する例からも顕著に判断できる、誤解のパターンです」というような文でいう、「ではなく」についてである。例文は、まず妥当な例であろう。が、次のような場合はどうか。

 「彼女はそのとき、つと吹いて来た風に吹かれて、白でなく、うす紅色のスカーフを選んだ。」

 助詞の使い分けで、「すると、彼が歩み出た」、「すると、彼は歩み出た」の例などのように、主格をあらわす格助詞の「が」と、他と明確に区別する副助詞の「は」の違いを学ぶことがあるのだが、「ではなく」と「でなく」においても、前に置かれることがらを区別し強調する「ではなく」が、単に「AでなくB」をあらわすだけの意味の文で用いられている例を、よく見かける。というより、本来は「でなく」であるはずの記述で「ではなく」と書かれているものが近年ほとんどのようであり、まさにひところ流行った「贈らさせていただきます」という「さつき言葉」のようで、辟易する。

A「○○な」

 「○○な」という表現は、本来は「○○だ」という形容動詞の連体形の表現である。これに対して、「名詞」+断定の助動詞「だ」の、品詞の違いを問う設問が、入試などでは多くみられる。「勇敢な」は形容動詞「勇敢だ」の連体形だが、「名人だ」は、「名人」+「だ」というたぐいである。
 しかし「名詞」+「だ」の場合でも、「○○な」というような言い方が許容されるようになり、あげくのはてには「進取の気風」の「進取」さえ、「進取な」などとされているコピーまで見かける次第である。

 このような「誤用」を、ただ見過ごしているとどうなるのか。私自身、千年以上におよぶ言葉の変遷の、現在いちばん先っぽにちょこんと置かれた人間の一人にすぎないから、決定的なことを言えるはずはない。ただ、言葉や価値観が大きく変わる時代には、それを容認する立場と否定する立場の双方が、つねに存在したはずだ。私は後者であることを自負しているから、その立場からの発言であることを明言した上で、次のことを言いたいと思う。

 まず、かんたんに言って、言葉は大切に使うべきだ。軽い言葉は、多くの人が信用しない。その意味において、安易な誤用を容認するべきではない。たとえば、「可能な限り」という意味で、「あたうる限り」と言った公人がいた。これは「誤用」である。「能う(ふ)」はハ行四段活用で、「限り」にかかる連体形も「あたう(ふ)」である。「あたうる」は、「与える」の意味の「あたふる」である(いまこの記事を書いていたら、「能うる」や「能える」が変換されて、ぎょっとした)。

 言葉が変遷して行くことは、止められない。しかし明らかな「誤用」を放置することは、規範をゆるがせにし、一時的、恣意的な判断で、どんなことでもまかり通る世の中の雰囲気を生み出して、人々が生きにくい社会のあり方、ある者にとって都合の良い空気づくりを、助長して行く。もっとはっきり言えば、間違いに寛容な、いや鈍感な社会になって行く危険性を、「誤用の放任」は、はらんでいるのである。

 これも国語を守る立場にあり、国語というステージで生きる者のつとめとして、表明しておきたい。
posted by hyojo at 01:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.266 桜と「業平」のことなど

2017年03月23日

 一昨日、かねて予想されていた通り、東京がことし全国で一番早く、ソメイヨシノ開花の観測地となったそうである。桜の季節ともなれば、誰もが心浮き立つものであろうが、やはり歌人のはしくれである私としては、短歌、文学の観点から、桜のことを考える習慣が根づいている。そしていく度か書いているため今回は詳細を省くけれど、桜と言えば在原業平の<世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし>の歌を、この時期にはどうしても思ってしまう。

 また先日、東京大空襲と東日本大震災のことで一文を認めた際、言問橋についても言及した。在原業平であろうという『伊勢物語』の主人公が、いまの白鬚橋付近とされる「すみだ川」のほとりで<名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと>の歌を詠んだと書かれているのは、同書の「東下り」の章だが、この章では冒頭の方に、やはり有名な、次の一首が挙げられている。

 から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

 この歌は、「かきつばた」の五文字を、「初句、二句、三句、四句、結句」それぞれのはじめに読みこんでいる(折句)ほか、序詞、掛詞、縁語といった和歌の技法をたくさん盛りこんだ歌としても、よく知られていよう。

 詠まれたのは、三河国(現在の愛知県東部)の八橋というところ(愛知県知立市)だとされており、授業で生徒たちに教える時、私自身がかつて親しんだそのあたりの土地の様子なども織り交ぜて、話している。かつて親しんだ、とは、四半世紀も前になる平成2年(1990年)から平成7年(1995年)にかけての5年間、当時勤めていた出版社の転勤で、名古屋に住んでいたことによるのだが、このほどちょっと急用ができて、その名古屋へ行くこととなった。

 翌日は時間がありそうなので、この三河国の八橋、業平が<から衣・・・>の歌を詠んだ地をたずねようかなどと、いま、ちょっと考えているところである。無事にそこを歩くことができ、業平の心について感じるところをまとめることができたら、いつかまた当ブログで、お話ししてみたいと思う。



posted by hyojo at 13:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.265 3月10日、そして11日

2017年03月10日

 今日3月10日は、72年前の1945年(昭和20年)、アメリカ軍のB29爆撃機の大編隊による深夜の無差別爆撃で、都内の下町地区が壊滅的な被害を受け、10万人以上の死者・行方不明者を出した日である。10日の夜ではなく、9日から日付が変わったばかりの10日の午前が、空襲を受けた時間帯で、一般にこの空襲を「東京大空襲」と呼ぶ。

 言問学舎ホームページの中でも触れているが(「会社概要」の中の、「言問学舎のゆかり」)、最寄りの本郷弥生交差点から言問通りを東進すると、隅田川に言問橋が架けられている。在原業平の「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の名歌の出て来る『伊勢物語』で一行が川を渡ったのが、このあたりなのかと推察されるが(※)、東京大空襲の夜、猛火に追われてこの橋の上にたくさんの人が避難して動きが取れなくなり、焼夷弾はそこにも投下されて、橋の上で折り重なるように焼死したり、川に飛び込んで水死したりした人のなきがらが、あたりを埋めつくしたと言われている。

 「言問学舎」として「言問」の名を負う以上、私はこのことを忘れぬばかりでなく、ずっと語り伝えて行かねばならぬと、心に決めている。そして戦争は、つねに無辜(むこ)の民に犠牲を強い、大きな悲劇を生む。そのことも、今日(こんにち)ますます声を大にして、伝えて行かなければならないことである。戦後に生まれ、平和な時代に生きて来られた私たちの、それは必然たる責務であろう。

 そして明日は、3月11日である。月並みな言い方ではあるが、あの大きな揺れがつづいた時間のことは、今でも鮮明に覚えている。その日は塾に泊り込んだ。翌日帰宅する際に、海岸の松並木を超えて押し寄せる津波の写真をはじめて目にし、ようやく事態の深甚さを知った時の驚きと悔しさ(解説は省くが、犠牲になった方々のことを思ったその時の感情には、「悔しさ」という言葉がもっとも合っているのである)も、また終生忘れることはないだろう。

 私は文学の中に鉄道を取りこむことを、テーマの一つとしている。その視点から、ずっと不通になっていた常磐線の小高‐浪江間の運転再開が近づき、常磐線全線の再開にも見通しがついて来たことと、当時の沿岸の鉄道各線の状況とを思うと、ある種の感動を禁じ得ないし、関係各位のご労苦には、頭を垂れるのみである。私自身のなすべきことも、半分は終えたが、半分は道半ばにも至っていないことをいま一度ふり返り、ふたたびなすべきことのために行動すべく、誓いを新たにしたいと思う。

 今年は、今日、このことを記し終えて、筆を置きたい。

平成29年3月10日
小田原漂情

※その後確認を取り、現在の白鬚橋(しらひげばし)付近にあった「橋場の渡し」とされている(ウィキペディア)、とのことで、訂正します。

posted by hyojo at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記