言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.245 アルプスの牧場

2015年10月26日

 例年かならず、一文を書かせていただいているが、今日10月26日は、灰田勝彦先生のご命日である。今年は、YouTubeで「詩の朗読」と、「昭和(前期)の流行歌」を歌うことを私の活動に加えたので、本日、33回目のご命日に、『アルプスの牧場』を歌わせていただいた。

 灰田勝彦先生のことをすこし紹介させていただくと、明治44年(1911年)8月20日にハワイでお生まれになり、お父上のご葬儀のために帰日された後、帰りの船便を待っている時に関東大震災に遭遇されて、その際運悪く盗難にあい、日本に残られた。先生12歳の頃である。

 4歳年上のお兄様が灰田有紀彦先生で(当初は灰田晴彦と名乗られた)、『森の小径』、『鈴懸の径』などの名曲をのこされたほか、日本にハワイ音楽を輸入した「ハワイアンの父」として知られる。有紀彦先生の作られた「モアナ・グリー・クラブ」で、弟の勝彦先生も活躍され、独特の甘い歌声、とりわけファルセット(裏声。『アルプスの牧場』などではヨーデル)が他に類を見ない唱法として、先生の代名詞でもあった。

 私は青春時代、ひょんなことから昭和前期(昭和6年〜28年ごろ)の流行歌に心ひかれ、『酒は涙か溜息か』『緑の地平線』などの悲しい歌を歌うことにある種の情熱を燃やしていたが、一方で、「灰田勝彦さんの明るい歌を歌えるようになりたい」という願望を、いつからか持ちはじめていた。それをいつ実行に移すか、と思案していた33年前、昭和57年(1982年)の10月26日に、突然、灰田先生は亡くなられてしまったのである。

 その衝撃から、私はLPレコードを買いに走り、まず『新雪』から歌えるようになった(2011年にYouTubeにアップ済み)。さらに聞き覚えのある歌から、少しずつ練習して行ったのだが、知っていた歌の中に、「これはどうしても、歌うことはできないのではないか」という歌があった。それが『アルプスの牧場』である。先述した裏声のヨーデルを使うので、2オクターブ前後の音域を必要とするのだ。

 ともかく私は、「裏声が出なくともメロディーだけはなぞれるようになりたい」と思って、レコードにあわせて練習をはじめた。メロディーをなぞることはできるようになるが、どうにも物足りない。灰田先生のご存命中に『新雪』を覚えておかなかった自分が、灰田先生の後ろ姿を少しでも追うためには、この『アルプスの牧場』を歌えるようにならなければならない。そのように、心の内奥から突き上げて来るものがあった。

 とはいえ、「裏声の出し方」という教本が、存在するわけではない。どこをどうやって高い声を出せば、あのような声が出せるのか、皆目わからないのである。それでも、何としてでもあの声に近づきたい、そう思ったのは、いちずな青春の思いだったのであろう。

 ひと月からひと月半ぐらい経ったころ、ようやく「裏声」らしい声が出はじめた。それを何とか伸ばそうとしている最中、通りがかりの小学生に「音痴!」と言われたこともある。だが、それまで努力らしいことをあまりしたことのなかった私が、その時はじめて、「決してあきらめない」、「できるまでやり通す」努力をして、そして成功したのだった。

 このことは、私にかけがえのない大きなものを、与えてくれた。『アルプスの牧場』が歌えるようになったので、その後友人たちの結婚式などで大喝采をいただけるようになったのが、もっとも顕著な例ではある。しかし、それは「顕著な例」のひとつにすぎない。

 努力はすれば報われる。そして、自分ではなく、「他の多くの人たちに喜んでもらうために、何かをする」こと、さらにそこから得られる喜びが、自分自身を変えてくれ、まっすぐ生きるための、言葉にできないほど大きな力となってくれたのである。

 灰田先生が亡くなられて、33年。私の力のつづく限りいつまでも、先生が私にのこして下さった大きなものを、私にできる形でまた違う方たちに伝えて行きたいと、願う次第である。

https://www.youtube.com/watch?v=LlSbw72_6cU 『アルプスの牧場』
posted by hyojo at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.244 「詩の朗読」について

2015年10月16日

 6月2日から、YouTubeを利用して、「詩の朗読」をつづけている。日本の近代詩を中心に、これまで高村光太郎、立原道造、石原吉郎、茨木のり子、佐藤春夫、室生犀星の作品に、取り組んだ次第である(犀星については、現在その散文を読むこととして、継続中)。

 この「詩の朗読」の試みには、大きく言って、次の3つのねらいがある。

 まず、大学の文学部をのぞいて、近年わずかに中学・高校の教科書で取り上げられる程度になっていると思われる近代詩を、すこしでも多くの人に読んでいただく、その媒体となることを、志すものである。やや大仰な構想かも知れないが、たとえば『樹下の二人』の朗読を学校の勉強のために視聴してくれた高校生が、光太郎の他の作品を読むきっかけになるとしたら(そして光太郎詩集を手に取り、ページを繰ってくれたら)、これほどうれしいことはない。

 次いで、たった今例に挙げたように、中学生・高校生が近代詩を勉強する際の一助になれば、との思いもある。詩というものは、書かれている意味内容もさることながら、言葉の流れ、韻律をしっかり受け止めることが、きわめて重要だからである。もちろん、朗読のしかたには、読む者の解釈があらわれるものであり、私の読み方が唯一のものではない。しかし、国語と文学の立場から、過剰な思い入れを排し、それでいて詩の表すところをあますことなく表現したものにはなっていると思う。詩をしっかり勉強したいと志す方たちのお役に少しでも立てれば、幸いである。

 最後に、前段でも触れた「韻律=音韻」についてである。国語を知ること、もしくは読解力をつけ、国語の力を正しく身につけて行くということは、日本語の「音韻」あるいは「しらべ」を、正しく知ることであり、これはかねて幾度か、お知らせしている通りである。詩や小説などの文学作品に限らず、評論であっても、日本語で読む以上かならず日本語の「音韻」で、文章を構成する言葉たちは結ばれている。その「音韻」をふまえていないと、文章の意図するところを、正しく読みとることはできない(そうでない場合、「誤読」が多くなる、という意味で)。そのためにもっとも効果的なのが「音読」だということを、これもかねてお伝えしているが、論より証拠、とくに「音韻」をつかみやすい「詩の朗読」で、実践させていただくという意図を、持っているのである。

 この意味では、「国語をしっかり勉強したい、させたい」という思いで、「国語の塾をさがしている」方々に、ぜひお目通しいただきたい。文学、表現の場を求めておられる方々もまた、然りである。

★「詩の朗読」で、10月16日現在公開済みのものは、以下の各作品です。

高村光太郎 
「レモン哀歌」「松庵寺」「梅酒」「あどけない話」「案内」「樹下の二人」「元素智恵子」
「同棲同類」「裸形(らぎやう)」「報告(智恵子に)」「人に(いやなんです)」「狂奔する牛」  「人に(遊びぢやない)」「梟の族」「人類の泉」
 
立原道造
「のちのおもひに」「はじめてのものに」「夏の弔ひ」「夢みたものは……」

石原吉郎 
「麦」 

茨木のり子
「わたしが一番きれいだったとき」

佐藤春夫
「海辺の恋」「秋刀魚の歌」

室生犀星
「小景異情 その二」「犀川」
散文「立原道造を哭す」(『四季』第47号より)

以下のURLから、動画の一覧をご覧いただけます。
https://www.youtube.com/channel/UCyl6dpxKsgnFwzxqy5WFRTw 

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
[[文京区の総合学習塾・言問学舎HP http://www.kotogaku.co.jp/]]

[[言問学舎の生のすがたは、こちらの動画からもご覧いただけます!
http://www.youtube.com/watch?v=9d_nMZpDjbY&feature=youtu.be]]

[[国語の勉強をお手伝いする国語専門サイト・国語力.com
http://www.kokugoryoku.com]]

posted by hyojo at 18:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記