言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.248 「真の勉強」とは何か

2015年12月12日

 タイトルの言葉を、ことさら新しく言挙げしようというつもりはない。わたくし自身、人並みの(テストの点数的な)向学心というものが身につくのであろう中学生のころ、さらには高校生のころ、いわゆる学校の「優等生」であろうとしてお手本となるような生き方、学び方(宿題をきちんとやり、定期テストでいい点を必ず取るような)をして来た少年期、青春期ではなかったし、「勉強」とは広義の言葉でもあるからだ。

 しかし、いやだからこそ、「優等生」型、言いかえれば、「言われたことをしっかりやればテストの点は取れる」もしくは「次のテストに出そうなことだけやればいい」というような目先のテストの点数ねらいでなく、小学生なら中学へ、中学生なら高校へ、それぞれ進んでから、年齢ごとに本当に必要となる知識、考え方を、技術的な「問題の解き方」というものをも合わせて、きちんと教えられるのかも知れない、と、思うことはある。

 なぜ「優等生」的な中学生、高校生でなかったかというと、本質としては、それが性格だったのだろうと言わなければなるまいが、いまひとつの思春期の実情を申し述べれば、中学2年ぐらいで、「文学」にのめりこむ下地がつくられたことも、ひとつの理由にはなるだろう(言い訳を作るな、と子どもたちに言っている立場上、「それは言い訳にすぎない」というご批判は、甘んじて受けたい)。もちろん文学に傾くからには、当然と言ってもいい、別のひとつの思春期の「心のうごき」もあった。

 受験を控えたこの時期、とくに中学3年生、思春期のど真ん中にいる子どもたちの、心底からの悩み、苦しみに直面する。むろん中学受験の12歳、大学受験の18歳の受験生たちの悩み、苦しみも質的に違うところはなく、みんなつらいし、個人差もある(すなわち中3生だけが特別なのではない)のだが、「思春期特有のあやうさ」で苦しむ面が大きいのは、やはり14歳、15歳の中3生なのである。今年もその季節の、真っ最中だ。

 7〜8年前に使っていたキャッチコピーの一部だが、「やさしくて、きびしい」教師であること、そしてまた「真の勉強」とは何かを教えること。これがつねに目標であるのだが、ときどき確認しておかないと、わたくし自身もまた自分のあるべき姿を保持してゆく、すなわち「自己同一性=アイデンティティ(塾教師としての)」を維持することがむずかしい、そのようなこの頃だと思っている。それは自分が五十を過ぎたこととも無関係ではないだろうが、より以上に、社会の、あるいは世界の変容が早すぎ、激しすぎるためではないかと思いもする。

 ちなみに本稿で述べた「真の勉強」とは(もちろん定義も理念も無限にあるから、一つだけ、これがそうだ、などというものは存在しない)、結果がどうなるかということでなく、「勉強しよう」と志すその人が、まずは新しく知識や技量を身につけ、それを生かし、自分自身をそれまでの自分とは異なる自分に高めていく、そういうことなのではないかと考えている。わたくし自身、思春期の頃から親しんだ高村光太郎や佐藤春夫、室生犀星の詩を朗読しながら、その都度新しい発見をしている今だから、このことは自身を持って言い切れる。勉強とは、また人生とは、生涯勉強なのだという言いつくされた言葉を、わたくし自身の言葉として、あらためて発語させていただきたい。

レモン哀歌 朗読 https://www.youtube.com/watch?v=GqxoUGQC4Kc&feature
 
 
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Vol.247 受験生諸君へ

2015年12月04日

 12月に入り、受験生諸君、それぞれの入試(本番)への日程は、長い人でも2か月と3分の2ほど(東京都立高校、国公立大前期二次試験など)となっている。実際に入試日程が連続するのは、年明けの埼玉県の中学入試からではあるが(首都圏、特に東京都をベースに考えた場合)、もはや受験シーズン突入と言っていい、この時期である。

 高校入試に臨む、現中学3年生の人たちは、特にその感が強いであろう。言問学舎塾生の在籍校を含む文京区内の各中学校でも、連日「内申点(調査書点)」が明らかになり、高校受験の最初の方向性が、見え出して来ているためである。

 しかし、今日は特に、いま明らかになりつつあるのは「高校受験の最初の方向性」に過ぎないのだということを、言っておきたい。この段階で、うまく行くこともあれば、戦術の練り直しになることもある。だが、戦術の練り直しとは、「方法」を変えることであって、受験生が自分の将来に向かっての大きな方針、すなわち「戦略」を、根底から組み直すことではないのである。

 当然のことだが、「高校受験」とは、「自分が入りたい高校の求めるレベルまで自分を磨き、選考基準に到達すること」にほかならない。仮にいま、そのレベルにすこし足りない部分があるのなら、その足りない部分を埋めるべく、自分を磨くしかないのである。自分を磨くこと、それは、受験生にとっては、勉強して、学力を上げることでしかない。

 頑張れば、きっと道は開ける。このことを信じて、精一杯の努力をして欲しい。
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