言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.257 2016年8月21日に

2016年08月21日

 戦後が72年目に入り(去る8月15日に満71年が経過)、大きな「変化」が必要な時代となっている。時に応じて変えなければならないことを思うとき、同時に強い意思で守らなければならないものがあることに、意を強くする。それは、忘れてはならないことは、決して忘れない、ということである。忘れても良いこと、忘れるべきことは忘れていいが、忘れるべきでないことは、絶対に忘れないよう、語りつづけて行かねばならない。

 藤山一郎先生がお亡くなりになったのは、23年前の今日、8月21日である。その時のことは、今も鮮明に覚えているし、これからも決して忘れまい。その藤山先生のお教えの中で、私にとって最も大きなものは、言葉を正しく使い、発声は明瞭に、というものである。先生は、ご自身の歌われる歌を、「楷書」の歌であるとおっしゃった。「音」についてはもちろんであるが、特に「言葉」についてそうであることが、私が藤山一郎先生の教え子であると自負することのできる、最大の要素である。

 時に応じて、変えるべきものは変えることが必要である。同時に、変えてはならない部分は、決して変えるべきでない。そして「言葉」は、移ろいやすく、変わって行きやすいものである。そのことを容認する立場の専門家も多い。しかし、峻別し、強い意思を以て変えることと、大勢に流されて変化するものを安易に認めることとの間には、天と地ほどの違いがある。安易に流れに迎合する者ばかりでは、やがて社会全体が、変わってはならない方向に変わってゆく、すなわち過去の過ちを繰り返す道に進むことを、見過ごすことにもなる。大きな変化を迎えようとするこの時代に、守るべきものは守るということが、かつてないほど大事なことになるだろう。

 こうした「今」の時代だからこそ、「言葉を正しく使い、発声は明瞭に」というご姿勢で、「楷書の歌」を貫かれた藤山先生に、学ぶべきことは多いと思う。『長崎の鐘』や『青い山脈』を歌われ、戦後の心をまっすぐに導かれた先生のお心を、私は決して忘れることなく、語りつづけて行くことを強く誓う。

2016年8月21日
小田原漂情
posted by hyojo at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.256 2016年8月15日に

2016年08月15日

 私の塾では毎年8月、おもに小学6年生から中学3年生の生徒たちに対し、戦争に関する文章や作品を用いて、国語の授業を実施している。私自身、戦後17年以上経ってからの生まれであり、直接に戦争を経験しているわけではない。従って、それらの文章や各種の映像・資料、書物の中でもドキュメンタリーを主とした内容のものなどから、あの戦争のことをとらえて来た一人である。

 今日、8月15日、長い戦争が終わってから71年という日を迎えた。長寿国と言われるわが国でも、これだけの年月を経れば、直接戦争を体験した方の数は、減って行く。広島や長崎で被爆された方たちの平均年齢はすでに80歳を越しているし、今日とり行なわれた全国戦没者追悼式に出席している遺族の8割近くが、71歳以上の方たちだという。

 8月9日にも書いたが、今年の長崎平和宣言では「被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています」というメッセージが、長崎市長から発せられた。原爆、戦争を実際に経験した方々が伝えてくれる「現実の話」に耳を傾け、深く受けとめて、もっと後の時代の人たちに、伝えること。私どもの年代は、もはやそのことにためらいを持つべき年代ではない。

 私自身があの戦争のことを知るようになり、学びとった昭和40年代、50年代は、立場や思考の違いにかかわりなく、悔やみ、悼む思いが、ほとんどの媒体に通底していた。こんにちと異なり、語り伝える立場の人も、作る立場の人もひとしく戦争を経験し、その酷さと悲しみを身に沁みて知っていたからだろう。実感を伴わない「情報」として往時に触れる時、こんにちのあり方がともすれば二極化にならんとしていることに危惧を覚えるのは、私だけではあるまい。

 本日の全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉の中には、「過去を顧み、深い反省とともに、今後戦争の惨禍がふたたび繰り返されないこと」を(8月8日に『お気持ち』をお伝え下さった際と同じく)、「切に願い」という表現がみられた。この陛下の深いお心を国民がともに戴くことこそが、子どもたちに平和な未来を受けわたして行くために、何より大切なことではないだろうか。私においても、なすべきことは多い。

2016年8月15日
小田原漂情
posted by hyojo at 17:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.255 2016年8月9日に

2016年08月09日

 今日、8月9日の午前11時2分、長崎が、被爆後71年の時を迎えた。この1年間に新たに死亡が確認された3487人の名簿が奉安され、長崎の原爆死没者名簿登載者数は17万2230人になったという。

 広島市長の平和宣言、長崎市長の長崎平和宣言のいずれもが、被爆された方々の平均年齢が80歳を越していることに触れ、長崎平和宣言は、「世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が少しずつ近づいています」とまで踏みこんだ。その日はあまり遠くない将来に確実に訪れるのであり、その時日本人の多くが、広島と長崎の原爆の惨禍を「過去の遠いできごと」と感じるようになってしまっては、過ちがふたたび繰り返される恐れがある。広島の平和宣言が「絶対悪」と表現した核兵器のありようは、われわれが受け継ぎ、伝えて行かなければならぬ最大の歴史であると考える。

 そして、昨日は天皇陛下の「お気持ち」が、ビデオメッセージにより公にされた。論評めいたことを書きつづるには畏れがあるが、ネット等でのコメントなどを見るにつけ、一つだけ、明言しておきたいと思うことがある。それは、陛下ほど強く、われわれ国民と、日本という国の未来を考えて下さる方はないのであり、また昭和から平成にかけての一連の行事(昨日のお言葉の一部を拝借すれば、「殯(もがり)」から喪儀、新時代に関わる諸行事)のすべてを、唯一の当事者として執り行われた上での、だれ一人知り得ないご実感の上から、国と国民の負担を減らすことを念頭に置かれ「国民の理解を得られることを、切に」願う、とされた「お気持ち」を、厳粛に受け止めるべきだということだ。

 これは平成の世になってから28年、天皇皇后両陛下が国民と国のためにお考えくださり、実践してくださったじつに多くのことがらをふりかえる時、自ずとみちびかれる思いである。長崎平和宣言は、「被爆者のいない時代」を語るだけでなく、「被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています」と告げている。戦後も70年を過ぎ、さまざまなことが、新しい時代のために、動き、変わって行くべき時に、来ているのだろう。その中で変わってはいけない、忘れてはならない不変の思いを持ちつづけることもまた、きわめて重要なことだと考える次第である。

2016年8月9日
小田原漂情


posted by hyojo at 17:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記