言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.260 つねに新しい道への挑戦を

2016年10月26日

 今日は10月26日。毎年何らかのことをつづっているが、私にとって命の恩人と言っても過言ではない、故灰田勝彦先生のご命日である。亡くなられてから、すでに34年の月日が流れ去った。当時私は19歳の大学2年生であった。つまり物心ついてからの人生の3分の2以上、灰田先生が導いて下さった道を、歩んで来たことになる。

 その内実がどのようなものであったかということは、あるいはWeb上で書き、あるいは昔日の書物に書いたことであるゆえ、今日ここで新しく述べるものではない。ただ、灰田勝彦というきわめて明るく、真っ直ぐな個性にふれたことで、私はその当時の沈潜した精神状態から浮上して、前向きで積極的な人間性を得ることができたのである。

 このご恩は、生涯にわたって私が灰田先生にお返しすべきものである。もちろん直接的にはできないから、先生の残されたものを後世に伝えることが、私になしうる一番のご恩返しと考えている。そのためのもっとも大きな手法も自明ではあるのだが、すぐに着手するにはなかなかむずかしい条件も多い。

 そこで本日は、午前中お墓参りに伺って、それから先生が42歳の時に歌われた『浜辺に濡れて』を歌わせていただいた。LPレコードのこの曲の解説には、「この年代の灰田は、新しい自分の方向を模索していた」とある。どの道でも、いくつになっても新しい試みをつづけなければならぬということを教えて下さった、感銘深い曲でもある。そしてまた、昭和前期の流行歌の中の一群が達成した格調高いリリカルな佳曲の一つとして、長く保存されるべき一曲であると考える。

https://www.youtube.com/watch?v=5sdEPSYCR9I 『浜辺に濡れて』


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Vol.259 30年〜「ハワイアンの父」灰田有紀彦先生を偲ぶ

2016年10月16日

 2016年10月16日。今日は、ハワイのお生まれであり、日本にはじめてハワイアンを紹介されて「ハワイアンの父」と今も呼ばれる灰田有紀彦(晴彦)先生のご命日である。亡くなられたのは、1986年(昭和61年)のこの日だった。その4年前の10月26日には、弟の灰田勝彦先生が先に旅立たれており、兄弟愛で知られたお二人が同じ10月、10日ちがいで鬼籍に入られたことは、灰田ファンにとってはまことに悲しく、そして印象深いことであった。

 亡くなられて30年という節目であるから、聞き知ったことをつづらせていただくのも、ご供養としておゆるしいただけるだろうか。有紀彦先生は、天性の音感で『森の小径』『鈴懸の径』などのうつくしいメロディーを書き上げられる一方、ときにそそっかしい失敗なども、なさったという。コンサートで勝彦先生が次に歌う曲の題名が紹介されたあと、まったく違う曲の前奏をはじめられたということが、『灰田有紀彦/勝彦 鈴懸の径』(早津敏彦著/サンクリエイト)に紹介されている。そんな時、弟の勝彦先生は、「兄貴のやつ、またやりやがったな」と、苦笑いをしながら有紀彦先生を見つめられていたという。

 以前にも書いたが、立教大学の構内には、「鈴懸の径」の歌碑がある。「鈴懸の径」のタイトルの文字は、勝彦先生のお手になるものである。この日の除幕式は、1982年(昭和57年)の11月3日に行なわれた。本来、そこには勝彦先生が臨席されるはずだったが、直前の10月26日に勝彦先生は亡くなられ、除幕式の主役は悲しみの中で有紀彦先生がつとめられた。私は過去に4回、この碑にお詣りしている。願わくは立教大学に在籍する方、足を運ばれる方々には、この碑の前でひととき昔日を偲んでいただきたいものである。

 私は毎年、有紀彦先生と勝彦先生のご命日に、ブログで記事を書かせていただいている。勝彦先生のお墓は、自宅から言問学舎への通勤経路途上にあるため毎年ご命日にお墓参りをしているが、有紀彦先生のお墓は埼玉県にあるので、一度、お嬢様にお連れいただいたきりである。私の青春時代を支えてくれた『森の小径』などのうつくしい旋律を送り出して下さった灰田有紀彦先生へのせめてもの感謝の思いとして、一文を認めた次第である。

YouTube 小田原漂情 『森の小径』 https://www.youtube.com/watch?v=h8IxPAFxI9A

   〃      『鈴懸の径』 https://www.youtube.com/watch?v=Je5CIwH3SqU
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