塾というなりわいに身を投じて、そろそろ20年近くなる。さらに以前、25歳の時から学習参考書の出版社に勤め、塾の先生方とお付き合いをさせていただいていたから、塾の現場に近いところへ身を置いてからは、34年目に入っている。その出版社勤務の時代、塾経営の先達である先生方から、直接の言葉ではなかったかも知れないが、「塾というものは子どもの人生を預かる、責任の重いなりわいだ」ということを、知らず知らず受け止めていたように思われる。特に二十代の若いころは、「小田原さん塾をやればいいのに」とすすめていただいても、「そんなに責任の重い仕事はできません」などとお答えしていた記憶がある。
「子どもの人生を預かる」というのは、けっして誇大な表現ではない。中学受験の12歳、高校受験の15歳、大学受験の18歳。それぞれに、一人一人の子どもたちが、真剣に自分の将来を懸けて、受験という大きなチャレンジの場に向かうのである。大人から見れば、たとえその結果が100%希望をかなえるものでなかったとしても、道はいくつもある、気を取り直せ、と助言するべきことがらなのだが、思うような結果を得られなかった子どもたちには、時にそれは消化しきれない、大きな痛手となることがあるのだ。その後の人生に大きな影響を及ぼすという意味で、「子どもの人生を預かる」という認識が、少しも大げさなものではないということである。
だから毎年の受験に際して、結果が思わしくなかった子に精一杯寄り添い、語りかけることが、塾長としてもっとも重い責務だと考えている。決まった進学先で、自分にできる最大の努力をすること。それで一度の受験の失敗は十分取り返せるし、そこでの生き方が、その後の人生を輝かせることもあれば、曇らせることもある。そうした意味のことを、こちらも苦しみを共有しながら、真剣に語るのである。
今年、大変うれしく、私が言問学舎をつづける限りずっと語りぐさにするであろう、言問学舎卒業生の大躍進があった。この文章を書くことについて、本人の承諾ももらっているので、紹介をさせていただきたい。その卒業生は、高校進学にあたり、いわゆる併願校が進学先となった。進学に際し、先述した内容を話して聞かせたのは言うまでもないことだ。入学後、4月の終わりには部活動の報告に来てくれて、9月の文化祭はステージを見に行った(合唱部)。その時一生懸命やっている様子を確認し、安心もしたのだが、高校生活の最後には、大学受験という大きな関門がある。ここでは共通テストの古文について、卒業生対象として可能な限りの手助けをさせてもらったが(理系受験)、最終的に後期まで頑張り抜き、地方の国立大学の志望学部への合格、進学を果たしてくれたのである。さらに高校の卒業式では、3人が対象となっている個人表彰の2番目に、栄えある表彰を受けもした。そのことが、その子の高校の3年間がいかに充実したものであったのか(すなわちどれほどひたむきに頑張ったのか)、雄弁に語っているように思われて、感無量であった。
つい先日、現況を詳しく聞く折があったが、地方都市での一人暮らしを、つつがなくこなしているようだ。そして大学では混声合唱サークルに入って、今も一生懸命歌っているらしい。高校での合唱部の経験が、大学でも生きている。これほどすばらしいことがあるだろうか。日ごろ受験、生徒指導というと堅い、きびしい話になることが多いから、今日は明るい、そして受験の結果に悩むお子さんたちのためになる話を綴らせていただいた次第である。これほどの明るい話題、教え子の晴れやかな快挙に立ち会えることは、長く塾をやっていてもめったにないことだ。私自身にとっても忘れがたいきらめきの春から初夏を、楽しく過ごさせていただいた。