今回の対象である芥川龍之介の『羅生門』は、現在「言語文化」の教科書に掲載されている。行くあてのない下人が羅生門の楼上で、死体の髪の毛を抜く奇怪な老婆に憤りを覚え、正義感を燃え立たせたかと思うと、老婆が髪を抜く動機の平凡さにあきれ、逆に老婆の生死を握っているという優越感から、最後は老婆の言葉を盾に取って「引剝ぎ(ひはぎ)」に転じ、悪への道に踏み出して行く過程を、巧みな心理描写で描いた短編である。
長く高校1年生の教科書に掲載されており、各高校でも一学期に学習させることがほとんどであると思うが、それはこの作品が「高校国語への導入のテクスト」として、適しているためだろう。「『羅生門』から高校国語へ、高校生の思考法へ」から引用する。
<では、「羅生門」を高校生が学ぶ理由、その大きな意味とは何でしょうか。それは、この小説が「高校国語」への入り口として、適切な読み物であることです。
高校国語、高校生の思考法では、中学生までとは少し違って、自分がどう感じたか、だけでなく、それが人間としての真実、真理にどうつながっていて、そこから何が読みとれるかということを、「物語の筋を追う」だけの視点でなく論理的にとらえ、高いレベルで解明することを求められます。>
このような「高校国語」を知り、学ぶのに、『羅生門』は最適なのである。本書では原典の「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の物語」(『今昔物語』)、『鼻』(芥川龍之介)を掲載して、比較・照合して考える道すじを示している。またQRコードから『羅生門』本文の音読動画を視聴することができ、まず作品そのものに親しむことができるのも、大きな特色である。
https://www.youtube.com/watch?v=5XDS513ZOrM 『羅生門』本文音読動画第1回 YouTube言問学舎
中島敦の『山月記』は、現在の「文学国語」の教科書になるまでは、2、3年生用の「現代文」の教科書に掲載されていて、ほぼ2年時に扱われていた。47年前に私が高校2年生だった時にも同様で(当時は「現代国語」)、思春期真っ只中の当時、李徴の「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」に、どっぷりと捉えられた記憶が鮮烈である。同じことを、私より上の年代の方たちを含め、多くの成人の読者から、『スーパー読解「山月記」』の読後感としてお寄せいただいている。この小説は、ぜひ16歳、17歳という年齢において深く読み、自分自身の人生にかかわるものとして何かを受け取ってほしい。『スーパー読解「山月記」』にもそのための工夫を随所に盛りこんである。
森鷗外の『舞姫』も、以前は「現代文」(私の頃は「現代国語」)の教科書に載っていた。そしてだいたい、3年時に学習することが多かった。私は高校生当時も「現代国語」の教科書に載っている小説として違和感なく読んでいたが(鷗外はじめ明治期の小説を読む中で文語のものを比較的多く読んでいたためもある)、現在の高校生には「古文の文章で書かれている」わけで、難解に感じる人が多いだろう。そのため『スーパー読解「舞姫」』には、『舞姫』原文の格調をそこなわず、かつわかりやすい現代語訳(小田原漂情訳)を掲載しており、その上で豊太郎の心情や明治の日本人留学者の目から見た欧州(もしくはドイツ)の様子など、『舞姫』で読みとるべき重要なポイントを深く考察することで、真の国語力、読解力を培うことができると好評である。特に『スーパー読解「舞姫」』をしっかり理解すれば、論説文の読解力も見違えるように向上する。分かりにくい文章、未知のことがらから文章の奥にあるものを読みとる力がつくからである。
今回の『スーパー読解「羅生門」』刊行によって、『スーパー読解』シリーズは『羅生門』、『山月記』、『舞姫』の3点をそろえたこととなる。いわば高校三部作である。高校国語の要とも言うべきこの3点をそろえたことで、『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力』第1巻(全6巻)からスタートした言問学舎の出版事業も、土台を整えたことになる。国語教材の出版は、中学校教科書の掲載作品に移り、来年『スーパー読解「故郷」』の刊行を計画している。中学3年生の教科書に掲載されている魯迅の名作である。
『スーパー読解「羅生門』、『 〃 「山月記」』、『 〃 舞姫』3点完成を折り返し点として、さらに本義を追究するのみである。










