言問ねこ塾長日記

言問学舎舎主・小田原漂情のブログです。

Vol.348 『スーパー読解「羅生門』、『 〃 「山月記」』、『 〃 舞姫』をそろえて

2026年05月18日

 このほど言問学舎より、『スーパー読解「羅生門」』を上梓した。2019年3月に出版事業をはじめてから7年、14冊目(国語教材としては10冊目)の本であるとともに、真の国語を教える『スーパー読解』シリーズの第3巻である。シリーズ第1巻の『スーパー読解「舞姫」』が2023年5月発行、第2巻『スーパー読解「山月記」』が2025年6月発行であるから、3巻すべてを一学期に発行して来たことになる。どの作品も、高校の国語の授業で一学期の期末テストの範囲になることが多いためだ(『山月記』は近年、1年次の後半にやる学校もあるようだ)。

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 今回の対象である芥川龍之介の『羅生門』は、現在「言語文化」の教科書に掲載されている。行くあてのない下人が羅生門の楼上で、死体の髪の毛を抜く奇怪な老婆に憤りを覚え、正義感を燃え立たせたかと思うと、老婆が髪を抜く動機の平凡さにあきれ、逆に老婆の生死を握っているという優越感から、最後は老婆の言葉を盾に取って「引剝ぎ(ひはぎ)」に転じ、悪への道に踏み出して行く過程を、巧みな心理描写で描いた短編である。

 長く高校1年生の教科書に掲載されており、各高校でも一学期に学習させることがほとんどであると思うが、それはこの作品が「高校国語への導入のテクスト」として、適しているためだろう。「『羅生門』から高校国語へ、高校生の思考法へ」から引用する。
 
 <では、「羅生門」を高校生が学ぶ理由、その大きな意味とは何でしょうか。それは、この小説が「高校国語」への入り口として、適切な読み物であることです。
 高校国語、高校生の思考法では、中学生までとは少し違って、自分がどう感じたか、だけでなく、それが人間としての真実、真理にどうつながっていて、そこから何が読みとれるかということを、「物語の筋を追う」だけの視点でなく論理的にとらえ、高いレベルで解明することを求められます。>

 このような「高校国語」を知り、学ぶのに、『羅生門』は最適なのである。本書では原典の「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の物語」(『今昔物語』)、『鼻』(芥川龍之介)を掲載して、比較・照合して考える道すじを示している。またQRコードから『羅生門』本文の音読動画を視聴することができ、まず作品そのものに親しむことができるのも、大きな特色である。
https://www.youtube.com/watch?v=5XDS513ZOrM 『羅生門』本文音読動画第1回 YouTube言問学舎

 中島敦の『山月記』は、現在の「文学国語」の教科書になるまでは、2、3年生用の「現代文」の教科書に掲載されていて、ほぼ2年時に扱われていた。47年前に私が高校2年生だった時にも同様で(当時は「現代国語」)、思春期真っ只中の当時、李徴の「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」に、どっぷりと捉えられた記憶が鮮烈である。同じことを、私より上の年代の方たちを含め、多くの成人の読者から、『スーパー読解「山月記」』の読後感としてお寄せいただいている。この小説は、ぜひ16歳、17歳という年齢において深く読み、自分自身の人生にかかわるものとして何かを受け取ってほしい。『スーパー読解「山月記」』にもそのための工夫を随所に盛りこんである。

 森鷗外の『舞姫』も、以前は「現代文」(私の頃は「現代国語」)の教科書に載っていた。そしてだいたい、3年時に学習することが多かった。私は高校生当時も「現代国語」の教科書に載っている小説として違和感なく読んでいたが(鷗外はじめ明治期の小説を読む中で文語のものを比較的多く読んでいたためもある)、現在の高校生には「古文の文章で書かれている」わけで、難解に感じる人が多いだろう。そのため『スーパー読解「舞姫」』には、『舞姫』原文の格調をそこなわず、かつわかりやすい現代語訳(小田原漂情訳)を掲載しており、その上で豊太郎の心情や明治の日本人留学者の目から見た欧州(もしくはドイツ)の様子など、『舞姫』で読みとるべき重要なポイントを深く考察することで、真の国語力、読解力を培うことができると好評である。特に『スーパー読解「舞姫」』をしっかり理解すれば、論説文の読解力も見違えるように向上する。分かりにくい文章、未知のことがらから文章の奥にあるものを読みとる力がつくからである。

 今回の『スーパー読解「羅生門」』刊行によって、『スーパー読解』シリーズは『羅生門』、『山月記』、『舞姫』の3点をそろえたこととなる。いわば高校三部作である。高校国語の要とも言うべきこの3点をそろえたことで、『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力』第1巻(全6巻)からスタートした言問学舎の出版事業も、土台を整えたことになる。国語教材の出版は、中学校教科書の掲載作品に移り、来年『スーパー読解「故郷」』の刊行を計画している。中学3年生の教科書に掲載されている魯迅の名作である。

 『スーパー読解「羅生門』、『 〃 「山月記」』、『 〃 舞姫』3点完成を折り返し点として、さらに本義を追究するのみである。
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Vol.347 野球小僧は永遠に‐灰田勝彦先生と長嶋茂雄さん

2025年10月26日

 大学3年生の秋ごろから、私は友人たちと飲んで就職の話になると、「俺はビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)を受けるんだ」と騒いでいた(当時、就職活動はだいたい4年になってから)。むろん、2年生の10月26日(昭和57年/1982年)に亡くなられた灰田勝彦先生をお慕いする気持ちからである。今でも親しく付き合っており、5年前には『たまきはる海のいのちを‐三陸の鉄路よ永遠に』の取材で仙台から宮古まで連れて回ってくれた親友は、「そういう強い気持ちがあれば必ず入れるよ」と言ってくれた。わけあって実際にビクターを受けることはなかったが、その後も灰田先生のレコードやCDを購入するたびに、ビクター音楽産業、のちにはビクターエンタテインメントの社名に、あこがれの気持ちを抱いて見入ったものである。

 そのビクターエンタテインメント様から許諾をいただいて、本日は「野球小僧」(佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲、灰田勝彦唄 1951年)を歌わせていただいた(佐伯孝夫作品はビクター専属楽曲で許諾が必要)。ご高配を賜り、かねて録画を予定していた今月23日の前日に、許諾のお知らせをいただくことができた。「野球小僧」は灰田勝彦先生ならではの名曲だが、何しろ灰田先生は、「王選手にバッティングの講義をした」という伝説をお持ちであり、ご自身の野球チームでは70歳になってもエースで4番を譲らなかったというほどの、熱狂的な野球好きでいらした。お亡くなりになった43年前、1982(昭和57)年10月26日も、朝方はお元気で、「1時になったら日本シリーズのテレビのスイッチを入れてくれ」と奥様におっしゃっていたのだと聞く。しかし容態が急変し、午前10時5分にお亡くなりになったのであった。

https://www.youtube.com/watch?v=tpceQqxSX1I  野球小僧 小田原漂情歌

 灰田有紀彦先生、灰田勝彦先生に感謝の思いを捧げるのは毎年10月のならいだが、今年は加えて、6月に亡くなられたミスタープロ野球、長嶋茂雄さんへの感謝と追悼の思いをも、歌につづけての語りの中で述べさせていただいた。長嶋さんが、野球という枠を超えて日本の二十世紀後半の社会を明るくして下さったということは、つとに語られるところであるが、小学6年生の時に「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉を聞いて感激した私としても、まったくその通りであると考える。今年はぜひ、ビクターさんから許諾をいただいて「野球小僧」を歌わせていただこう、と決意したのは、長嶋さんが亡くなられてほどなくのことであった。

 ちなみに灰田先生と長嶋さんは、別所毅彦さんを交えたお三方で、ステージに並んで立っておられるスナップが、早津敏彦さんの書かれた『灰田有紀彦/勝彦 鈴懸の径』の巻頭口絵ページに掲載されている。こよなく野球を愛しておられた灰田先生と、ミスタープロ野球と称された長嶋さんが、今ごろは天国で、灰田先生がピッチャー、長嶋さんがバッターで対戦しているのではないかと想像される。お二方とも数えきれないほど多くの人々に、夢を与えて下さったのである。

 大リーグでの大谷翔平選手の活躍もあってか、現在の小・中学生たちの中にも、夢中で野球をやっている子どもたちがいるのはうれしい。長嶋さんのお言葉のままに、野球小僧も永遠にグラウンドを駆け回るのであろう。

令和7(2025)年10月26日
小田原漂情
posted by hyojo at 00:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記

Vol.346 ただ一つの花

2025年10月16日

 今日10月16日は、灰田有紀彦先生のご命日である。お亡くなりになったのは1986(昭和61)年のこの日だから、今年で39年となった。

 39年と言えば、一人の人間が「不惑」を迎えようという年月である。それほどの長い期間、「森の小径」や「鈴懸の径」に代表される、有紀彦先生の美しい灰田メロディーとともに生きて来られた私は、なんと幸せなのだろう。「森の小径」、「鈴懸の径」に代表される美しい灰田メロディーが、時として私を救い、慰め、そして前へ進む強い力を与えてくれた。これまでにもいく度か、この10月の文章として書かせていただいているが、有紀彦先生の美しいメロディーと、勝彦先生の力強い、まっすぐな歌声が、正しく生きる力を与えて下さったのだ。

 3年前まで、私は毎年勝彦先生のご命日にお墓参りをさせていただいていたが、所沢の聖地霊園にあった有紀彦先生のお墓にも、一度お参りさせていただいたことがある。有紀彦先生のお嬢様に、お連れいただいたのである。恩愛を賜った先人を偲ぶ際、お墓参りをさせていただくのは、在世中にお目にかかることのできなかった後代の者にとっては、究極に近い追慕の営みと言っていいと思うが、それはお導き下さる方があってはじめてなしうることであると、改めて感謝の思いを深くしている。勝彦先生のお墓参りに伺うようになったのも、灰田ファンの大先輩のご依頼で同道したものであったが(これもお導きである)、その際もお嬢様に、お寺の所在をお教えいただいたのであった。

 さて、前にも書いたことがあるが、灰田有紀彦先生の作品には、勝彦先生がお歌いになり、「ハワイアン風流行歌」と呼ばれた一群がある。昨年歌わせていただいた「アロハ東京」や「ハワイのセレナーデ」、そして「ただ一つの花」などである(ほかにも、原曲がハワイアンで有紀彦先生がアレンジされた名曲がたくさんある)。「ただ一つの花」は、一昨年の10月26日、勝彦先生のご命日に歌わせていただき、YouTubeにアップしている。有紀彦先生のご作曲で、モアナグリークラブ及び楽団ニューモアナを通じて先生ご兄弟とともに活躍なさった永田哲夫先生が作詞されたものである。永田先生には、1992年の10月26日に、当時赤坂にあった「白石信とナレオハワイアンズの店 タバ・ルーム」で『遠い道、竝に灰田先生』の出版を記念し灰田ご兄弟を偲ぶ会を開いていただいた際、お目にかかっている。

https://www.youtube.com/watch?v=K40Io8uZ_Bs&t=8s ただ一つの花 小田原漂情歌唱

 ただ一つの花を胸に、ささやかな喜びを見出し、夢を持って生きた人々、灰田メロディーによって人生のしるべを見つけた人々が、おおぜいいた。私もその中の一人である。有紀彦先生のご命日であるこの日、今年もまた、先生に深い感謝を申し上げたい。

令和7(2025)年10月16日
小田原漂情
posted by hyojo at 20:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言問ねこ塾長日記