言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.277 「継続」の難さと重さ

2018年08月06日

 今日、8月6日。広島に原子爆弾が投下され、人類の歴史に消すことのできない一点が刻まれてから、73年が経過した。この1年に亡くなられた方が5393人、名簿に記された方の総数が31万4118人となり、そしていま生存している、被爆された方たちの平均年齢は82歳になるという。

 松井一實広島市長の平和宣言では、「継続」の重要性が述べられた。毎年5000人以上の方が亡くなられ、3年前に初めて80歳を超えた平均年齢が82歳にまでなっていることを考えれば、むべなるかな、の思いが増すばかりだ。原爆の惨禍を体験した方が少なくなる中で、語り伝えること、受け継いで行くことは必然的に難しくなるし、だからこそ継続することの困難さが、一年ごと、いや一日ごとに重みを加えて行くのである。

 社会一般、人間一般の性として、忘れること、目を背けることはたやすく、継続することは難しい。自己同一性を保ち続けることの難しさに加え、日々の生活やなりわいの多忙さに追われる中で、一つのことを続けられなくなる可能性は、誰にもありうる。まして年齢を重ね、身体的に継続ができなくなることを、避けることはできまい。必然的に、新たに受け継ぐ者が現れ、それを繰り返していかなければならないが、過去を見つめ、受けとめ続けることを志す人が多くいるとは、考えにくい。

 広島は、あの重い過去を負い、あきらめずに歩み続けて来た土地だから、新たに過去を負う人々を生むのであろうか。今日のこども代表の二人は、「私たちが伝承者になります」と、力強く言い切った。こうした若い、新しい力を生むことのできるのが、広島に培われた力なのかも知れない。

 私も、傍観だけをしているわけにはいかない。継続をしなければならない。今日は創業以来続けている『碑(いしぶみ)』の授業を、中1のクラスで実施する。また『碑』に、中1に限らず、まずはいま現在、自分の有する立場で、語り伝えるべきものを、伝えなければならない。なしうることには限りがあるが、何よりも「継続」の重要さを知る者として、自分のなすべきことを続けていかなければならないのだ。

平成30年8月6日
小田原漂情


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Vol.276 16年目の碑(いしぶみ)

2018年06月01日

 今日6月1日は、言問学舎創業の日である。2003年、平成15年のこの日、現在地からほど近い本郷6丁目で、その年の夏期講習に向けた計画立案、開校準備に着手して、こんにちに至る歩みがスタートした。

 その年、言問学舎塾生第1号として入塾した当時小学3年生の女の子は、昨春大学を卒業して、社会人になった。高校卒業(大学受験)まで十年間通ってくれ、就職活動にあたっても、就活講座でサポートをさせてくれた、言問学舎の生き字引きのような子であった。今年の年賀状に、通勤が遠いと書いてくれてあったが、元気にやっているだろうか。

 その年の、高校受験1期生は、昭和最後の生まれだったから、みな今年三十路を迎えることになる。中3生が而立を迎えるわけだから、15年という歳月は、やはり相当な長さの時間と言えるだろう。彼らの受験成功から、開校後数年の順調な滑り出しがはじまったのだとも言える。

 そして2003年、その年に誕生した子たちが、現在の中学3年生である。彼らが生まれてから現在に至るのと同じだけの時間を、この土地で塾として歩みつづけて来たのだと考えると、感慨深い。そのうちの1人は、小学1年の時に同級生が通って来ていて、時々何となく、その頃の話になることがある。すると、あの時が言問学舎の何年目で、あれから何年経ったんだ、ということが、生徒の実年齢を軸にして、如実に思い返される。

 こうして考えると、毎年毎年の受験に全力投球をして、その結果や、子どもたちの学力アップという動的な面に目を向けがちななりわいであるけれども、多くの子どもたちの人生に寄り添い、成長のお手伝いをつづけるという静的な面からも、地域に根ざして塾をつづけていることのそこはかとない価値が、実感されるように思えて来る。

 この春、家内が中学・高校時代にお世話になった目黒の塾が半世紀におよぶなりわいに終止符を打たれ、塾長先生の貴重なご本を百冊あまり、頂戴して来た。私は家内を通じて先生に親しくしていただいたのだが、ご本をいただいたことで、これからの言問学舎の歩みの中に、先生の長い長い塾の業績の一端を、受け継がせていただいたように感じている。今日からまた、言問学舎として、新たな歩みを刻んで行くことを誓って、お世話になった方々への報恩の証とし、現在と未来の子どもたちのために力を注ぐ碑(いしぶみ)としたい。
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Vol.275 まる7年をかぞえて 

2018年03月11日

 今日14時46分、あの東北地方太平洋沖地震、東日本大震災の発生から、まる7年の時を迎えた。未だに7万人以上の方たちが避難生活を送っているという。報道の中で気になったのは、最愛の家族をなくした方たちの中においてさえ、「あの時のことを忘れないため」に、何かをしようとしているという内容の記事が見られたことである。

むろん、その当事者の方たちが気になるのではない。家族をなくした方たちでさえ、当時のことを忘れることがありうると感じるのだから、(私を含め)被災地以外に住んでいて、生活や身の回りの人々に被害がなかった人たちの記憶の中では、あの震災は遠い過去のことになってしまっているのではないかということが、気になったのだ。

 私自身は、書くことで、自分自身に何かを課することを習慣づけている。己の身の上に関することもそうであったし、あの震災のことに関しても、このブログのほか、いくつかの方法で書くことを、「忘れずにあるべき」手法として来た。

その意味で、今日は次の二つのことを記しておきたい。あれ以来ずっと不通であったJR山田線の宮古−釜石間がようやく復旧成り、来年3月から三陸鉄道に編入され運転再開されること、いま一つは常磐線の未開通区間も、再来年3月の全線運転再開をめざしているということである。

山田線宮古−釜石間が三陸鉄道となることで、現在の南リアス線盛から北リアス線久慈までが、三陸鉄道リアス線として統合されるという。三陸鉄道の経営という面から見ると手放しで喜ぶだけの話ではなく、厳しい予測や覚悟もあることだろうが、不通だった宮古−釜石間の運転が再開されることは、歓迎すべきだろう。途中に気仙沼線、大船渡線のBRT区間は存在するものの、三陸縦貫線が全線つながるのである。

そして常磐線の全線再開が果たされれば、震災で断たれた太平洋沿岸の路線がすべて、営みを再開するのだ。

このことに関して、私自身に何ができるかはわからない。しかし震災の直後にも、私は三陸の地への報恩を誓った。その時も、方法はやがて見出されるだろうと考えた。今もまた、何ができるかはわからないが、何をおいても書くことだけは怠るまい。そのことのみが、7年を迎えた今日、私の表明できることである。

2018年3月11日
小田原漂情
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