言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.279 「言葉」と「行ない」とを

2018年08月15日

 今日、全国戦没者追悼式を見ていて改めて感じたことは、「言葉」の持つ深さと重さであり、それは「行ない」に裏打ちされてはじめて深遠な意義を有するのだということである。

 全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉は、今年が最後のものとなる。「過去を顧み、深い反省とともに」という一節を、今日意味深くお聞きしたが、過去を顧みるために陛下が取り組んで来られたことを思いみるとき、冒頭に掲げた「言葉」と「行ない」との関連の強さを思わずにいられない。

 「言葉」について記すのは、私自身が言葉とともにあるなりわいに身を置いており、言葉の大切さを子どもたちに教えているほか、折々言葉によって自分自身の考えを表明する日常にあるからだ。「言行一致」「言うは易く行なうは難し」など古来の格言にもあるが、言葉を口にするということは、行ないをもその言葉に添わせなければならないことであって、つねに己が身を省みる必要を負っている。そのことを、改めてわが身に問いつづけなければならないと、深く感じた次第である。

 あわせて「平和を祈る」ことを継続し、行ないの伴った言葉を語りつづけることを、私自身の「言葉」として、今日ここに記しておきたい。 

平成30年8月15日
小田原漂情

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Vol.278 平和への思いを

2018年08月09日

 今日、平成30年8月9日の田上富久長崎市長の長崎平和宣言から、「平和への思いは共有できます」という言葉を、深く受けとめたい。もちろん、あらためて深く、という意味においてである。

 平和祈念式典が行なわれていた時間、私は塾で小学生の授業に当たっていた。夏休みの読書感想文指導のために、低学年、中学年、高学年と大きく分けて用意してある本の中から、今年は『ガラスのうさぎ』を3人、『つるにのって』を2人が選んだ。後者は「原爆の子の像」の佐々木禎子さんをモチーフとした本(原案ミホ・シボ/1994年4月初版 金の星社版)で、短編アニメーション映画「つるにのって」をもとにしたものだという。

 子どもたちが本を選ぶ前に、こちらから内容に関する話は一切しない。年齢に合わせいろいろなテーマの本を示してある中から、子どもたちが自分で選び出すのである。一人一人の子にどのような経緯があって、それらの本を手に取る結果につながっているのかを、聞くこともない。家庭や学校、そのほか彼ら自身がこれまでの何かの折に、何かしらのことがらを見聞した経験が、こうした機会に「本を読んでみよう」という行動に結びつくのであろう。

 私自身は、高校の修学旅行と満30歳の夏の二度、長崎をたずねている。広島は、大学時代とやはり30歳手前のころ、そして言問学舎で『碑』の授業をはじめて4年目の平成18年の夏に訪問しており、双方の資料館等で購入して来た書籍も何点か、塾の書架におさめてある。また『はだしのゲン』全巻も書架にあり、こちらは子どもたちが自発的に手にとる機会も多い。

 今日の長崎平和宣言は、長崎の核兵器廃絶運動をけん引して来た二人の被爆者が、昨年他界したことにふれ、その思いを引き継がなければならないと述べている。その思いとは、「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いだという。

 『ガラスのうさぎ』と『つるにのって』を読んだ生徒たちの中に、もう戦争はしないと誓った日本国憲法を、それぞれの主人公がよろこびを持って受けとめたというくだりが心に残ったと書いた子たちがいる。彼らは自ら本を手にとり、自分たちの感性で受け止めて、その部分をとり上げたのである。

 「平和への思いは共有できます」という長崎平和宣言を、みなが受けとめられる可能性があることを、この子たちも示していると言えるだろう。私自身も、まだまだ新たな取り組みの方向性をさぐって、自分のできることを増やし、続けて行かなければならない。
 
平成30年8月9日
小田原漂情
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Vol.277 「継続」の難さと重さ

2018年08月06日

 今日、8月6日。広島に原子爆弾が投下され、人類の歴史に消すことのできない一点が刻まれてから、73年が経過した。この1年に亡くなられた方が5393人、名簿に記された方の総数が31万4118人となり、そしていま生存している、被爆された方たちの平均年齢は82歳になるという。

 松井一實広島市長の平和宣言では、「継続」の重要性が述べられた。毎年5000人以上の方が亡くなられ、3年前に初めて80歳を超えた平均年齢が82歳にまでなっていることを考えれば、むべなるかな、の思いが増すばかりだ。原爆の惨禍を体験した方が少なくなる中で、語り伝えること、受け継いで行くことは必然的に難しくなるし、だからこそ継続することの困難さが、一年ごと、いや一日ごとに重みを加えて行くのである。

 社会一般、人間一般の性として、忘れること、目を背けることはたやすく、継続することは難しい。自己同一性を保ち続けることの難しさに加え、日々の生活やなりわいの多忙さに追われる中で、一つのことを続けられなくなる可能性は、誰にもありうる。まして年齢を重ね、身体的に継続ができなくなることを、避けることはできまい。必然的に、新たに受け継ぐ者が現れ、それを繰り返していかなければならないが、過去を見つめ、受けとめ続けることを志す人が多くいるとは、考えにくい。

 広島は、あの重い過去を負い、あきらめずに歩み続けて来た土地だから、新たに過去を負う人々を生むのであろうか。今日のこども代表の二人は、「私たちが伝承者になります」と、力強く言い切った。こうした若い、新しい力を生むことのできるのが、広島に培われた力なのかも知れない。

 私も、傍観だけをしているわけにはいかない。継続をしなければならない。今日は創業以来続けている『碑(いしぶみ)』の授業を、中1のクラスで実施する。また『碑』に、中1に限らず、まずはいま現在、自分の有する立場で、語り伝えるべきものを、伝えなければならない。なしうることには限りがあるが、何よりも「継続」の重要さを知る者として、自分のなすべきことを続けていかなければならないのだ。

平成30年8月6日
小田原漂情


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