言問ねこ塾長日記

季節講習会のご案内をしてまいります。

Vol.270 忘れず、語りつづけることを

2017年08月15日

 今日は正午に、全国戦没者追悼式を見ながら黙禱し、その後出社した。玉音放送から72年、日本が平和であることを、かつてのように声高には述べかねる現況の下、だからこそ、より真剣に平和を願うために、考えなければならないことは多い。

 ポツダム宣言が出されてから、玉音放送によって日本が戦争の体制を終わりとするまで、20日ほどの時間が経過している。この間8月6日に広島、そして9日に長崎への原爆投下があり、8日にソ連の参戦があった。

 長崎への原爆投下の後、10日以降も、各地が空襲に遭っている。14日には、大阪などのほか、山口県岩国市と光市も空襲を受け、光では海軍工廠が集中的に爆撃されて、そのため多くの軍人・軍属とともに百数十名の動員学徒が、命を落としたという。大学の同窓の友人が光の出身で、亡くなった女学生のお父さんの手記を読んだことがあると教えてくれたが、同じものと思われる手記を、今日、「光海軍工廠空襲」というサイトで、読ませていただいた。

 亡くなった女学生の家では、彼女とその弟の二人が、学徒動員のため光海軍工廠で勤務していたという。空襲のあと、弟は帰宅したが、姉が戻ってこない。翌日、お父さんは汽車で光へ出向き、多くの遺体が並べられた会館で、はじめは見つけられず、再度調べ直して、金歯と内ポケットの紙片から娘の遺体を確認したのだと、手記には書かれている。工廠が壊滅した空襲で焼かれた遺体は、外面からでは見分けることができなかったのだろう。

 戦争のさなかのこととはいえ、あまりにも痛ましい女学生の死である。空襲された場所は海軍工廠で、彼女は学徒動員のためにそこにいて、命を落としたのである。しかも、後世からみれば、翌日には、戦争そのものが終わっているのだ。あと少し早く戦争が終わっていれば、という思いをした遺族が、当時どれほどいたことだろうか。

 ポツダム宣言受諾に至る経緯は、和平派と継戦派のせめぎ合いが苛烈であったから、和平にこぎつけるために、それを主導した人たちの命がけの努力があっての15日という結果なのだという見方もあろう。しかし、何ら罪のない無辜(むこ)の国民が命を落としつづける中、なぜもっと早く、と思わずにいられなかった人々の思いを知り、忘れないことが、現在のわれわれには何よりも重要だろう。

 そして、一度始めてしまった戦争を終わらせることがどれほど大変だったか、またその陰でどれほど多くの国民が命を失ったか、ということを考えれば、戦争は始めてはならないし、国家がそうした方向へ進まないよう声を上げつづけなければならないと、答えは決まっているはずである。中学生、高校生の年代の人たちが、戦地や軍需工場で命を落とした過去の悲劇を深く反省し、現在の子どもたちの未来を明るく保ちつづけるためにも。

平成29年8月15日
小田原漂情

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Vol.269 決してあきらめずに

2017年08月09日

 本日は午前中から夏期講習の授業のため、11時2分に塾内で黙禱。Webのニュースで田上富久市長の長崎平和宣言が報じられるのを待った。この一年間で新たに死亡が確認された被爆者3551人の名簿が奉安され、犠牲者は17万5743人になったという。

 田上市長の淡々とした誠実な語りぶりは、Web上で文字を読んでもよく伝わって来る。ことに印象ぶかいのは、「核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。」「日本政府に訴えます。」と、相手を変えて二度、それぞれに対し求める内容を、ゆっくり呼びかけている点だ。もちろん田上市長も日本政府に、核兵器禁止条約への「一日も早い」参加を求めている。

 歴代の内閣、首相が、広島や長崎の訴えよりも、アメリカや世界の大国の方を気にしていたのは、残念ながら動かしがたい事実であり、現政権だけのことではない。しかし、それにしても、あまりにも聞く耳を持たない、馬耳東風というよりも悪意的に国民の声、批判の声を無視するような政府与党の権力者の言動を日ごろ見せつけられていると、広島の松井市長や長崎の田上市長の真率な訴えを受けとめる為政者のいない現在の日本は、何と空しい国なのかと思わずにいられない。

 しかし、今日の田上市長の平和宣言の中でも、「小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になる」と語られている通り、あきらめてはいけない。そして忘れてはならない。

 小さな行動でも、志を曲げずにつづけること、積み上げて行くことが重要である。私もあきらめることなく、語り、伝える自身の営みを、つづけて行こうと思う。

平成29年8月9日
小田原漂情

 
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Vol.268 「あなたかも知れない」を、自分のことと

2017年08月06日

 今年も8月6日を迎え、朝からTVで広島の平和(記念)式典を見、8時15分に黙禱した。今日、新たに原爆慰霊碑に死没者として納められた名簿に名前のある方は5530人、72年間の総計は、30万8725人となった。

 今日の式典でもっとも印象深かったのは、松井一實広島市長の平和宣言で、「皆さん」という呼びかけにはじまり、大半の部分を通して日本の、いや全世界の一人一人の人々に向かって語られたその言葉と、一人一人に「自分のこととしてとらえること」を求めたと思われる、語調であった。

 とくに、次の一節は引用させていただき、本稿をお読み下さる方々とともに今後のことを考えるいとぐちとしたい。

 「このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。」

 惨たらしい目に遭うのが「あなた」、すなわち自分であるかも知れない、と考えることが荒唐無稽な空想であると思う人は、現在の日本でも多くはないだろう。仮定、仮想の段階を超え、もしかしたら実際にそうした事態が生じるかも知れないと、思わないわけにはいかない、現在の国際情勢である。

 こども代表による「平和への誓い」では、被爆後の広島で生き抜いた人たちが「あきらめなかった」から、広島が緑と命のあふれる街の姿をとり戻した、という意味のことが語られた。現在の、ともすれば兵器には兵器で対抗すればいい、という意見が拡大しがちな状況にあってこそ、より高次の視点から、あきらめない行動と努力を尽くすことが必要であろう。

 核兵器禁止条約を日本政府が締結促進するよう、松井市長の平和宣言は求めた。アメリカの核の傘の下にある日本が、アメリカの意向を忖度するのは、戦後72年ずっとつづいて来たことであり、それだけの理屈なら誰にでもわかる。そこから踏み出し、独自の立場を打ち立てることこそが、真に偉大な為政者の為すべきことではなかろうか。そのような為政者の政策・方針であるなら、国民が正面から意思表示に向かうことも、また必然のつとめとなるであろう。

2017年8月6日
小田原漂情
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