「戦後80年」の報道になるべく目を通しているが、70年、60年の時にくらべて、報道の件数は少ないように感じられる(件数を精査したわけではない)。今日の広島の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)で読み上げられた、この1年間で新たに原爆死没者名簿に書き加えられた方の数は4,940人、これまでの総数は349,246人になったという。またこども代表の「平和への誓い」は、「いつかはおとずれる、被爆者のいない世界」という言葉からはじめられた。
「被爆者のいない世界」とは、核兵器が廃絶されて、今後(戦争で)被爆する人が一切出ない世界のことではあるまい。80年前に実際に被爆して、生き延びて来られ、原爆の実相を語りつづけて来て下さった、「原爆の被害を直接知る方々」が、お一人も残っていない世界のことを指すのだろう。現在いらっしゃる「被爆者」の平均年齢が86歳を超えたということだから、たしかにその日がいつかは訪れることを、考える必要は大きいのだと思う。
戦後80年という歳月を考えれば、「戦後80年」の報道が少ないと感じられるのも、やがて「被爆者のいない世界」が訪れることも、避けることのできない事実であるようにも思われる。しかし、いっぽうで決してわすれてはならないことがある。今日の広島市の式典のNHKの放送でもっとも心に刺さったのは、2021年に他界された坪井直さんの、次のお言葉である。
どんなことがあっても、ネバーギブアップ!
このお言葉とお心とを、私たちはずっと受け継いでいかねばならない。そして、ものごとをまっすぐ、正しく受けとめることのできる子どもたちに、80年前の広島と長崎で何があったかを、伝えつづけることが肝要である。今年の夏休みは、『つるにのって』を読書感想文に選んだ子が親御さんと折ってくれた鶴と、私自身が去年から折って来た鶴をあわせて、広島市へ送らせていただく。「原爆の子の像」に捧げていただけるということだから、佐々木禎子さんのお心にも、いくばくかはかなうものになるかも知れない。
また、毎年公開する「長崎の鐘・新しき」を、今年も8月3日からYouTubeで公開している。「微力ではあるが無力ではない」、平和を愛し守る意思をあらわす者のつとめとして、ひきつづきなしうることをなすのみである。
https://www.youtube.com/watch?v=jzNjIy0_21Y 小田原漂情歌「長崎の鐘・新しき」
令和7(2025)年8月6日
小田原漂情
言問ねこ塾長日記
言問学舎舎主・小田原漂情のブログです。Vol.341 令和七年、八月の初めに
2025年08月01日
先日、中学1年の時に書いた夏休みの旅行の作文のことを取り上げた。振り返ってみると、今から50年前のことである。また、その時同級生だった親友と、つい2日ほど前、SNS上でだが「半世紀の付き合いだね」と喜び合った。
すなわ私は、今言問学舎にいる生徒の中の中学1年生とは50歳、そして小学生たちはそれ以上、年齢が離れていることになる。ずいぶん前から、年少の子たちは孫のように感じられているし、今でも付き合いのある教え子たちに、30歳、40歳若年の人たちもいるのだが、やはり50歳、半世紀分年齢が違うということは、大きな節目と感じられる。
もちろん日々、今現在が学齢期である令和の子たちを迎えていて、個人の感慨にふけっているばかりではない。教えるということを考える上で、次のことを根底に据え、教育のあり方を模索しつつ、実践している。
まず例として掲げる、万葉集の1300年前に歌われている親子の情愛は、現代もまったく変わらぬものであろう。
父母が頭かきなで幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
(防人として旅立つ前、両親が「元気でいろよ」と頭をかき撫でながら言ってくれた言葉が、今も耳の底に残っていて、忘れられない。)
また宇治拾遺物語の「ちごの空寝」の、ぼたもちができたと一度呼ばれてすぐ返事をするのは格好悪いから、二度目に返事をしようと思っていて、機を逸してしまったちご(幼い子)の話が800年前であるが、あらわしている言葉の形は変わっていても、人の心の動きは現在とまったく変わらないのだ。これは人間の真実、真理であろうし、それを伝えるのが言葉、すなわち国語の力であることも、また疑いのない真理であろう(メール、チャットでも、みな日本語で何かを書いている)。
奇しくも、つい先日中3生女子に、「先生も、昔から今みたいな性格じゃなくて、中学生の頃は同級生の女の子に、うまくあいさつができなかったんだよ」と話すと、間髪入れずに「今の中学生も似たようなものですよ」との返事が返って来た。繰り返すが、言葉の表面上の形や伝達の手段が変わっても、人の心は変わらないのである。
そして、学ぶこと、そのために教えることのどちらにも、形式の面では時とともに変化、進歩があるにしても、その本質は不変であろう。変化、進歩と言えば、私も22年前に言問学舎を立ち上げた時のままの私ではないし、言問学舎は「真の国語教育」で進化を遂げている。表面的、形骸的な新しさではなく、本質を深く掘り下げた教育の深層において、さらに磨き上げたものを、多くの子どもたちに提供すること、それが言問学舎の今後の方向性であり、使命であると考えた。
すなわ私は、今言問学舎にいる生徒の中の中学1年生とは50歳、そして小学生たちはそれ以上、年齢が離れていることになる。ずいぶん前から、年少の子たちは孫のように感じられているし、今でも付き合いのある教え子たちに、30歳、40歳若年の人たちもいるのだが、やはり50歳、半世紀分年齢が違うということは、大きな節目と感じられる。
もちろん日々、今現在が学齢期である令和の子たちを迎えていて、個人の感慨にふけっているばかりではない。教えるということを考える上で、次のことを根底に据え、教育のあり方を模索しつつ、実践している。
まず例として掲げる、万葉集の1300年前に歌われている親子の情愛は、現代もまったく変わらぬものであろう。
父母が頭かきなで幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
(防人として旅立つ前、両親が「元気でいろよ」と頭をかき撫でながら言ってくれた言葉が、今も耳の底に残っていて、忘れられない。)
また宇治拾遺物語の「ちごの空寝」の、ぼたもちができたと一度呼ばれてすぐ返事をするのは格好悪いから、二度目に返事をしようと思っていて、機を逸してしまったちご(幼い子)の話が800年前であるが、あらわしている言葉の形は変わっていても、人の心の動きは現在とまったく変わらないのだ。これは人間の真実、真理であろうし、それを伝えるのが言葉、すなわち国語の力であることも、また疑いのない真理であろう(メール、チャットでも、みな日本語で何かを書いている)。
奇しくも、つい先日中3生女子に、「先生も、昔から今みたいな性格じゃなくて、中学生の頃は同級生の女の子に、うまくあいさつができなかったんだよ」と話すと、間髪入れずに「今の中学生も似たようなものですよ」との返事が返って来た。繰り返すが、言葉の表面上の形や伝達の手段が変わっても、人の心は変わらないのである。
そして、学ぶこと、そのために教えることのどちらにも、形式の面では時とともに変化、進歩があるにしても、その本質は不変であろう。変化、進歩と言えば、私も22年前に言問学舎を立ち上げた時のままの私ではないし、言問学舎は「真の国語教育」で進化を遂げている。表面的、形骸的な新しさではなく、本質を深く掘り下げた教育の深層において、さらに磨き上げたものを、多くの子どもたちに提供すること、それが言問学舎の今後の方向性であり、使命であると考えた。
Vol.340 「何事かを為す」ための責任と覚悟
2025年04月21日
2月26日の本欄「人生を預かるなりわい」でご紹介した中川正壽老師のご大著『中川正壽随想録幷門あまね歌集 山を越え渓を渉る』がいよいよ明日出来となり、版元の飯塚書店さんへ納品される。言問学舎、すなわち私の手もとには、翌22日火曜日に届く手はずとなっている。

一度ご紹介した話なので、ざっと振り返ってみると、著者である中川老師から航空便でUSBメモリーを拝受したのが昨年8月だった。それより2か月ほどは、USBメモリーから原稿を起こし、読みとり、仕分けすることのみに費やした。3か月目から章立てをして作品を割り付けし、さらに本全体の構成を整えて、11月の下旬に、いつも本づくりでお世話になっているSさんにお願いして、飯塚書店の飯塚社長にお引き合わせいただいたのだった。
年末になる前に、著者と打ち合わせ済みの原稿を飯塚書店さんに送稿し、実際の本づくりが動き出したが、想定外の苦労が始まったのは初校の校正刷りが出たあとだった。著者に校正刷りを送るのに、いろいろ下調べして検討した上で、ヤマト運輸の国際宅急便を利用したのだが(お恥ずかしい話だが、海外へ荷物を送るのははじめてだった)、最初の初校の便は到着までに10日もかかったのである。しかも途中、インドのベンガルール(旧名バンガロール)で5日間も止められていた。
本づくりにおいては、版元と著者との間で二度ないし三度は校正のやりとりを必要とする。今回は版元と著者の間に私が入っており、私が構成に責任を持つポジションだったから、ドイツとの校正刷りのやりとりは初校、再校までとさせていただいたが(その後さらに2回、私と版元との間では校正を繰り返した)、ドイツとの航空便の行き来に、片道1週間〜10日を要したため、1か月超の時間が校正刷りの往来のためだけに費やされたのである。そして送稿以来4か月を経て、ようやく本の出来を迎えることとなった。本をつくる時はいつもそうだが、とりわけ今回は校正刷りの送付・受け取りに神経を使ったため、出来の喜びにも格別のものがある。
いっぽう、「ひろく一般のみなさまへ」でお知らせしている通り、言問学舎の「真の国語」の出版物として、現在『スーパー読解「山月記」』の制作をすすめている。18日金曜日には、横浜の元町幼稚園まで、「山月記」文学碑の見学・撮影に赴いた。中島敦の名作『山月記』には私も高校2年の時に出会って魂を揺さぶられ、言問学舎をはじめてからは毎年のように高校2年生の生徒たちに指導して、深く親しんできたが、中島敦のことを改めて学ぶためにまず神奈川近代文学館に行き、さらに『中島敦研究』(筑摩書房、1978年)を購入して諸氏の研究を読んでいると、虎になってしまった李徴の慟哭が、中島敦その人の心の内奥からしぼり出されたものであったかとも受けとめられ、感じ入るところがある。私の年代からすると、中島敦という作家は高くそびえる孤高の大家であるように思われていたのだが(文学的な位置はその通りであると今も考えるが)、33歳で没した彼はその当時まだ「新人」であり、「道半ば」に至るよりもっと早く夭折した、薄倖の作家であったのだと再認識させられる。
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」とは、「山月記」の中で虎になった李徴が「口先」で「弄(ろう)し」ていたとする「警句」だが、昨年から今年にかけて、ただいま述べたような仕事を手がけてきて、「何事かを為す」ことのできる幸いとおそれとを、こもごも感じている。そして、「山月記」を若い人たちにより深く知らしめ手渡そうとする「何事か」のための重い責任を、それを果たす覚悟とともに負わなければならないと、己を戒める次第である。

★『スーパー読解「山月記」』は6月19日(木)より言問学舎店頭で、20日(金)ごろから書店注文・ネット注文が可能になります。ジュンク堂書店、紀伊国屋書店、三省堂書店は一部店舗に配本されますので、注文対応も速いと思われます。
一度ご紹介した話なので、ざっと振り返ってみると、著者である中川老師から航空便でUSBメモリーを拝受したのが昨年8月だった。それより2か月ほどは、USBメモリーから原稿を起こし、読みとり、仕分けすることのみに費やした。3か月目から章立てをして作品を割り付けし、さらに本全体の構成を整えて、11月の下旬に、いつも本づくりでお世話になっているSさんにお願いして、飯塚書店の飯塚社長にお引き合わせいただいたのだった。
年末になる前に、著者と打ち合わせ済みの原稿を飯塚書店さんに送稿し、実際の本づくりが動き出したが、想定外の苦労が始まったのは初校の校正刷りが出たあとだった。著者に校正刷りを送るのに、いろいろ下調べして検討した上で、ヤマト運輸の国際宅急便を利用したのだが(お恥ずかしい話だが、海外へ荷物を送るのははじめてだった)、最初の初校の便は到着までに10日もかかったのである。しかも途中、インドのベンガルール(旧名バンガロール)で5日間も止められていた。
本づくりにおいては、版元と著者との間で二度ないし三度は校正のやりとりを必要とする。今回は版元と著者の間に私が入っており、私が構成に責任を持つポジションだったから、ドイツとの校正刷りのやりとりは初校、再校までとさせていただいたが(その後さらに2回、私と版元との間では校正を繰り返した)、ドイツとの航空便の行き来に、片道1週間〜10日を要したため、1か月超の時間が校正刷りの往来のためだけに費やされたのである。そして送稿以来4か月を経て、ようやく本の出来を迎えることとなった。本をつくる時はいつもそうだが、とりわけ今回は校正刷りの送付・受け取りに神経を使ったため、出来の喜びにも格別のものがある。
いっぽう、「ひろく一般のみなさまへ」でお知らせしている通り、言問学舎の「真の国語」の出版物として、現在『スーパー読解「山月記」』の制作をすすめている。18日金曜日には、横浜の元町幼稚園まで、「山月記」文学碑の見学・撮影に赴いた。中島敦の名作『山月記』には私も高校2年の時に出会って魂を揺さぶられ、言問学舎をはじめてからは毎年のように高校2年生の生徒たちに指導して、深く親しんできたが、中島敦のことを改めて学ぶためにまず神奈川近代文学館に行き、さらに『中島敦研究』(筑摩書房、1978年)を購入して諸氏の研究を読んでいると、虎になってしまった李徴の慟哭が、中島敦その人の心の内奥からしぼり出されたものであったかとも受けとめられ、感じ入るところがある。私の年代からすると、中島敦という作家は高くそびえる孤高の大家であるように思われていたのだが(文学的な位置はその通りであると今も考えるが)、33歳で没した彼はその当時まだ「新人」であり、「道半ば」に至るよりもっと早く夭折した、薄倖の作家であったのだと再認識させられる。
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」とは、「山月記」の中で虎になった李徴が「口先」で「弄(ろう)し」ていたとする「警句」だが、昨年から今年にかけて、ただいま述べたような仕事を手がけてきて、「何事かを為す」ことのできる幸いとおそれとを、こもごも感じている。そして、「山月記」を若い人たちにより深く知らしめ手渡そうとする「何事か」のための重い責任を、それを果たす覚悟とともに負わなければならないと、己を戒める次第である。
★『スーパー読解「山月記」』は6月19日(木)より言問学舎店頭で、20日(金)ごろから書店注文・ネット注文が可能になります。ジュンク堂書店、紀伊国屋書店、三省堂書店は一部店舗に配本されますので、注文対応も速いと思われます。










